ローディング表示を見つめる時間

この記事の要点
- 読み込み中の表示を見つめる人の表情は、待ち時間の長さよりも「あとどれくらいか」がわかるかどうかで変わる。
- ミラーとニールセンが整理した反応時間の目安は、いまも待ち時間設計の出発点になっている。
- 進捗が見えないぐるぐる回るだけの表示は、同じ秒数でも体感を長くし、人を画面から離れさせる。
- 待ち時間は技術指標であると同時に、人の不安を扱う設計の問題でもある。
コワーキングスペースの一角で、ノートパソコンに向かう人たちをしばらく眺めていた。あるファイルをアップロードしている女性の画面に、進捗バーが現れた。バーが半分を越えるまで、彼女の視線はそこに釘づけだった。ところが八割を過ぎたあたりでバーの動きが鈍ると、視線が外れ、スマートフォンへ移った。完了の音が鳴ると、また画面に戻る。待つあいだ、彼女の注意は二度、行き来していた。
別の席では、男性が検索結果の読み込みを待っていた。こちらの画面に出ているのは、終わりの見えない回転アイコンだけだ。三秒、四秒。男性は眉を寄せ、トラックパッドを意味もなく二度叩いた。進捗バーの女性が見せた落ち着きと、回転アイコンの男性が見せた苛立ち。待った時間はおそらく大差ない。違ったのは、終わりが見えていたかどうかだった。
反応時間には、古くて確かな目安がある
人がシステムの遅さをどう感じるかについては、半世紀以上前からの蓄積がある。ロバート・ミラーは一九六八年の論文で、人間と計算機のやり取りにおける反応時間の境目を論じた。のちにヤコブ・ニールセンがそれを実務向けに整理し、およそ〇・一秒までなら「即座」と感じ、一秒までなら思考の流れが途切れず、十秒を越えると人は別のことを始めてしまう、という目安を広めた。コワーキングの男性が手を遊ばせ始めたのも、女性の視線が外れたのも、この十秒の手前あたりの出来事だった。
ここで効いてくるのが、ただ速くするだけでは解けない部分だ。アップロードもネット検索も、所要時間を設計者が自由に縮められるとはかぎらない。回線や相手のサーバー次第のところがある。縮められないなら、せめて「あとどれくらいか」を示す——それが進捗バーの役目だった。終わりが見えるだけで、同じ秒数の待ちが、ずいぶん耐えやすくなる。
「見えない待ち」が体感を引き伸ばす
回転アイコンの問題は、それが何も語らない点にある。動いてはいるが、進んでいるのか、止まりかけているのか、客には判別できない。人は見通しの立たない待ちを、立つ待ちよりも長く感じる。行列に並ぶとき、最後尾がどこかわかる列のほうが、見えない列より楽なのと同じだ。男性の苛立ちは、四秒という長さそのものよりも、その四秒の正体がつかめないことから来ていた。
ただし、進捗バーが万能というわけでもない。実際の処理とバーの動きがずれていて、八割で止まったように見えてから一気に完了する、という経験は誰にでもあるだろう。冒頭の女性の視線が八割で外れたのは、まさにそのずれを学習していたからかもしれない。終わりを示すという約束を、表示が裏切り続ければ、人はやがて進捗バーすら信じなくなる。機械の表示をどこまで信じるかという問いは、待ち時間の小さな表示にも宿っている。
待ち時間は、不安の設計である
読み込み表示をどう作るかは、一見すると技術の問題に見える。だが現場で観察できるのは、技術指標ではなく人の不安だ。終わりが見えないことへの落ち着かなさ、裏切られた表示への不信、注意が他へ逃げていく様子。これらは「平均読み込み時間」という数字には現れない。同じ平均値でも、人の過ごし方はまるで違う。
近ごろは、内容の枠だけを先に薄く表示しておく「骨組み表示」のように、待ちを和らげる工夫も増えた。一方で、わざと少し待たせて「ちゃんと計算しています」と感じさせる演出も使われる。後者は、速さよりも納得を優先する設計だ。どちらが誠実かは一概に言えないが、共通しているのは、待ち時間を単なる無駄ではなく、人の気持ちが動く時間として扱っている点である。回転アイコンを見つめる数秒は、その気持ちが最も無防備になる時間でもある。設計が手をかけるべきは、まさにそこだろう。待った末に出るのがエラーだったとき、その無防備さは落胆へと変わる。
参照・出典
- Robert B. Miller「Response time in man-computer conversational transactions」AFIPS Conference Proceedings, 1968.
- Jakob Nielsen「Response Times: The 3 Important Limits」Nielsen Norman Group, 1993/更新版。反応時間の〇・一秒・一秒・十秒の目安。