自動化を信じすぎる認知の癖

この記事の要点
- 人は、機械が出した判断を、自分で確かめずに受け入れてしまうことがある。これを自動化バイアスと呼ぶ。
- パラスラマンとライリーは、自動化との付き合い方を「使用・誤用・不使用・濫用」として整理した。
- 機械が普段は正しいほど、たまの誤りを見逃しやすくなる、という逆説がある。
- 過信を防ぐには、機械の確信の度合いを見せ、人が確かめる余地を設計に残す必要がある。
カーナビが示した道が、明らかに細く、遠回りに見える。それでも、つい従ってしまう。あとで地図を見れば、もっと素直な道があったとわかる。なぜ、自分の目より機械を信じたのか。この問いを、運転に詳しい知人と話したことがある。やり取りを再構成してみる。
私:変だと思ったのに、ナビの言うとおり曲がっちゃったんだ。
知人:それ、自動化バイアスっていう、わりと知られた話だよ。機械が判断を出すと、人はそれを起点にして考える。ゼロから自分で決めるより、楽だからね。
私:でも、おかしいと感じてはいたんだ。
知人:感じても、覆すのにはエネルギーがいる。「機械はたぶん正しい」という前提があると、自分の違和感のほうを疑ってしまう。違和感を信じて機械に逆らうには、それなりの自信がいるんだ。
四つの付き合い方
知人:ラスラ・パラスラマンとビクター・ライリーっていう研究者が、人と自動化の関係を整理しているんだ。使う、誤って使う、使わない、行きすぎて使う——大ざっぱに言うと、この四つ。君のナビの件は、機械を信じすぎる「濫用」に近い。
私:逆に「使わない」っていうのもあるのか。
知人:あるよ。一度ひどい目に遭うと、今度は機械をまったく信じなくなる。便利な支援なのに、使われずに終わる。過信と不信は、同じ問題の裏表なんだ。
この四分法のいいところは、自動化との付き合いを「良い・悪い」の二択で語らない点にある。問題は機械を信じることそのものではなく、信じる度合いが、機械の実際の信頼性とずれることだ。実力以上に信じれば濫用になり、実力以下にしか信じなければ不使用になる。ちょうどよく信じる、という調整こそが難しい。
正しすぎる機械の落とし穴
私:ナビなんて、ほとんどの場合は正しいよ。だから信じてるんだけど。
知人:そこが落とし穴でね。普段が正しいほど、たまの間違いを見逃しやすくなる。九十九回正しい相手の百回目を、人は疑わない。むしろ、めったに間違えない相手ほど、間違えたときの被害が大きくなりがちだ。
私:信頼が、油断に変わるわけか。
これは設計の側にとって厄介な事実だ。機械の精度を上げれば上げるほど、人間の監視はゆるむ。完璧でないかぎり、残ったわずかな誤りが、最も見つかりにくい場所に隠れる。セルフレジの前で人が手を止めるのとは反対に、ここでは人が止まらなすぎることが問題になる。立ち止まる手間を惜しんだ先に、見逃しが待っている。
確かめる余地を、設計に残す
私:じゃあ、どうすれば過信を防げるんだろう。
知人:ひとつは、機械がどれくらい自信を持っているかを見せることだね。「この道で確実です」なのか「この道がたぶん良さそうです」なのか。確信の度合いが見えれば、人も信じ方を加減できる。
私:全部を断言口調で言われると、かえって危ういと。
知人:そう。断言は信じやすいけど、間違えたとき逃げ場がない。
会話を終えて思ったのは、自動化バイアスは知識で完全には消せない、ということだった。現にこの仕組みを知っている私でも、ナビに従ってしまった。知っていることと、その場で逆らえることは別なのだ。だとすれば、頼れるのは個人の心がけより、設計の側の工夫になる。機械の確信を見せ、人が確かめる余地を残し、たまの誤りに気づける手がかりを置く。人がアルゴリズムを嫌う心理とあわせて見れば、過信と嫌悪のあいだの、ちょうどよい距離を探ることが、設計の課題として浮かび上がってくる。
参照・出典
- Raja Parasuraman, Victor Riley「Humans and Automation: Use, Misuse, Disuse, Abuse」Human Factors, 1997.
- John D. Lee, Katrina A. See「Trust in Automation: Designing for Appropriate Reliance」Human Factors, 2004.