エラーメッセージが人を責めるとき

この記事の要点
- エラーメッセージの言葉づかいひとつで、利用者は自分が責められたと感じたり、助けられたと感じたりする。
- 「不正な入力です」のような表現は、原因を利用者に押しつけ、次の一手を示さない。
- ニールセンらの指針は、エラーは平易な言葉で示し、解決策を添えるべきだとしてきた。
- エラーは人が最も無防備になる瞬間であり、その扱い方に設計の姿勢が最もよく表れる。
窓口のような相談を受けることがある。あるとき、年配の利用者が、申請フォームの前で困り果てていた。画面には赤い文字で「入力に誤りがあります」とだけ出ている。どこが、なぜ誤りなのかは書かれていない。利用者は同じ欄を何度も打ち直し、そのたびに同じ赤い文字に突き返された。「私が悪いんでしょうか」と、その人は小さな声で言った。悪いのは、たぶんその人ではない。
あとで調べると、原因は電話番号の欄に半角と全角が混じっていたことだった。システムにとっては明確な不一致でも、利用者にとっては見分けようのない違いだ。にもかかわらず、メッセージは「あなたの入力が誤っている」とだけ告げ、何を直せばよいかは黙っていた。技術的には正しい指摘が、人を追い詰める言葉になっていた。
言葉は、責任の所在を語る
エラーメッセージの言葉づかいは、暗黙のうちに責任の所在を示す。「不正な入力です」は、不正なのは入力した側だ、と読める。「正しく入力してください」は、正しくできていないお前が直せ、と響く。どちらも、原因を利用者に押し返している。受け取った人が「私が悪いのか」と感じるのは、自然な反応だ。
同じ事態を、別の言い方で伝えることもできる。「電話番号は半角の数字で入力してください」。これなら、責めの色は薄れ、何をすればよいかが示される。情報量はむしろ増えているのに、受け取る側の負担は軽くなる。違いは、利用者を原因として扱うか、解決すべき状況として扱うか、という視点の置き方にある。機械の誤りが人間の誤りより重く受け取られるのと裏返しに、ここでは機械が人間の側に誤りを押しつけている。
古くからある、当たり前の指針
こうした配慮は、新しい発想ではない。ヤコブ・ニールセンがまとめたユーザビリティの指針には、エラーは専門用語ではなく平易な言葉で示し、問題を伝えるだけでなく解決策を添えるべきだ、という項目が早くから含まれていた。つまり、冒頭のフォームが守れていなかったのは、最新の知見ではなく、何十年も前から知られている基本のほうである。知られていないのではなく、実装で抜け落ちている。
なぜ抜け落ちるのか。ひとつには、エラー処理が後回しにされやすいからだろう。正常に動く道筋を先に作り、異常時の表示は最後にまとめて、システムの内部メッセージをそのまま流用してしまう。「入力に誤りがあります」は、機械が機械自身に向けた言葉が、利用者の画面まで漏れ出たものだ。一方で、すべてのエラーを丁寧に書き分けるには手間もかかる。そのため、頻度の低いエラーほど、ぞんざいなまま放置されやすい。
無防備な瞬間に、何を差し出すか
エラーが出る瞬間、利用者はたいてい無防備だ。作業が止まり、見通しが消え、自分の操作を疑い始めている。読み込みを待つ数秒の不安が、ここでは落胆や自責へと変わる。その無防備な瞬間に、画面が何を差し出すか。原因を押し返す言葉か、次の一手を示す言葉か。差し出すものの違いが、利用者の感情を分ける。
冒頭の利用者には、結局こちらが「半角の数字に直してみましょう」と声をかけ、申請は通った。だが本来、その一言は人ではなく画面が言うべきものだった。確認ダイアログが摩擦の配分の問題であったように、エラーメッセージは責任の置き方の問題である。機械にとっての「正しい指摘」が、人にとっての「責め」になっていないか。その一文を誰の側に立って書くかに、設計が利用者をどう見ているかが、最も短い言葉で表れる。
参照・出典
- Jakob Nielsen「10 Usability Heuristics for User Interface Design」Nielsen Norman Group, 1994/更新版。「Help users recognize, diagnose, and recover from errors」の項。
- Nielsen Norman Group「Error-Message Guidelines」エラーメッセージの文言設計に関する解説記事。